なぜ炎鵬は関取復帰できたのか? その理由 元横綱照ノ富士との出会い

 移籍した当初、照ノ富士は一人横綱として君臨していた。そして横綱から「このままじゃ無理だよ。その番付なりの相撲しか取れない」と覚悟の足りなさを指摘されて突き放された。これが却って自分を奮い立たせる原動力となった。また照ノ富士は腰痛と糖尿病で大関から序二段まで番付を下げた後横綱まで上がるという前例のないことをやってのけている。よって炎鵬と似た境遇から這い上がっており、横綱の言葉は重たいものがある。その後「人生を懸けてやっているか?」という言葉も掛けられている。照ノ富士は番付を下げた後に人生のすべてを相撲に捧げ、角界の頂点に昇り詰めた。それだけではない。本気でトレーニングしようと心を入れ替えた際、トレーナーを雇ったり病院に通ったりしたことで出費がかなりかさんだようだ。結局自身のお金だけでは足りず、お母さんの家を売ったり、モンゴルにある両親の会社から崩したりしてお金をやり繰りした。それだけの覚悟で相撲に打ち込んでおり、炎鵬に改めて覚悟を問いかけていたのかもしれない。その照ノ富士は引退して親方となり、現在は師匠として技術指導を行っている。その成果か取り口も少しだけ変わっており、以前は左差し一本という感じだったが、今は流れ次第で押し相撲も取れるようになっている。ということで取り口の幅が広がった印象がある。