朝乃山は大関に復帰できるのか? 大関という地位

 大関朝乃山は5月場所前に新型コロナウイルス感染症対応ガイドラインに違反していたことが発覚し、しかも同行した記者と口裏合わせをし、証拠隠滅を図ったことを重く見て「6場所の出場停止と50%の減給6月分」の処分が発表された。これで7月場所から出場停止となり、三段目から出直す見込みとなった。協会は朝乃山が大関という立場は勿論、虚偽の説明をしたことを重視し、厳しい処分となったようである。それではなぜこのような事態になったのか?。原因は2つある。

・大関という地位

 大関になれば給料もさることながら協会の看板力士であり、関脇以下とは待遇が全く違ってくる。おそらく大関になれば部屋の師匠も一人前とみなし、口うるさく言われることはほとんどないものと思われる。そして大関は当然だが横綱を目指すことになる。しかしそのハードルはかなり高い。日本出身横綱に関しては4年前に稀勢の里が昇進したが19年ぶりであり、その前は三代目若乃花までさかのぼる必要がある。そして体格に恵まれている朝乃山は横綱候補として期待されていたが自ら将来をつぶしてしまった形である。

 当然タニマチや記者の誘いも多くなる。同じ大関でも貴景勝は途中から記者との付き合いを止めたようである。また朝乃山と同行していた記者を責める声もあるが、協会にとっては相撲担当記者はいわば「お客さま」である。大相撲は野球やサッカーとは違って批判的な記事はほとんどない。新人の相撲記者を親方衆が接待し、余程のことがない限り批判できないような関係が出来上がっている。結局協会幹部も記者に関しては全く触れておらず、全て付き合った朝乃山に責任があるとの見方だと思う。

 話を少し戻すと横綱に上がるのは大変なので安住してしまいやすいのが大関という地位である。大関は2場所連続負け越せば関脇に陥落するが、以前は休場しても診断書を提出すれば次の場所は同じ地位に留められる公傷制度があった。しかし平成に入ってから公傷で休場する力士が相次ぎ、必要のない公傷を申請している力士も多数いたことから、当時の北の湖理事長の「鶴の一声」により、2003年11月場所を最後に廃止が決定した。廃止される前は特に大関が公傷制度を申請していた印象がある。観ている方ははっきり言って見苦しいが、公傷制度は別にして何としても守りたくなる地位というのが大関だと思っている。結果論だが結局朝乃山は大関という地位に甘んじてしまったというのが私の見解である。

続く