元横綱・曙の死去に関して 若・貴との激闘

 対貴乃花戦は21勝21敗の五分であり、対若乃花戦は18勝17敗ということでこちらもほぼ五分の成績だった。

 対貴乃花戦は真っ向勝負となり、離れて曙、組んで貴乃花ということで分かりやすかった記憶がある。また貴乃花が徐々に体重を増やし、押されにくくなったことで対戦成績で巻き返し、最終的には互角の星となった。

 対若乃花戦の方が相撲としては面白かった。貴乃花より体が小さいので真っ向勝負ではまず勝てない。よって若乃花はいろいろな策を講じて臨んでいた。また若乃花が曙を転がして勝った相撲もあり、小よく大を制すということで館内が非常に盛り上がっていた。

 さて先述の通り若・貴とは同期入門だった。また若・貴は現役時代はプリンスと言われた元大関貴ノ花の息子であり、入門時からマスコミに注目されていた。そのこともあり、曙は最初から若・貴をライバル視していた。一方の若・貴はどちらも曙への強い意識はなかったようである。しかし若・貴としても曙の方が早く出世しており、曙に勝たなければ上には上がれない。よって幾多の名勝負が生まれた。また若・貴ともに体は大きくなく、覚悟の上で土俵に上がっていたかもしれない。まさに鬼気迫るといった表現がピッタリであり、この取組以上に緊張感のある取り組みは観た記憶がない。相撲だけでなく、仕切りの時から張り詰めた空気が漂っていた。それでも曙はプライベートでは陽気なハワイアンに戻る。場所が終わると同期と飲み会を開き、魁皇や和歌乃山などと飲んでいたようだが、結局二人が来ることはなかった。

 そして引退後にハワイでのテレビ収録時に元若乃花の花田虎上さんが「本当は飲み会に行きたかった」と語ったようだ。本当は勝負を離れて楽しく飲んでいるのが「うらやましかった」と。しかし若乃花は「行かなかったことによって、あれだけ、いい相撲を取れた」と言ったようだ。若乃花は勝負に徹した。それは貴乃花も同じである。今の時代には合わないが、私はプライベートの付き合いを断ったからこそ名勝負が生まれたと考えている。

 さてここまでなら美談なのだが、観る方としてはそれだけでは片づけられない事情があった。それはやはり二子山部屋の存在である。終盤で若・貴と相撲を取るまでに、曙は同部屋の貴ノ浪、貴闘力、安芸乃島などを倒す必要がある。そして曙は孤軍奮闘であり、援護射撃してくれる力士は一人もいない。よって私は曙が取りこぼさずに終盤まで優勝争いをすることを願っていた。その点で歴代十位となる通算11回の幕内優勝を遂げた実績は数字以上に評価されてしかるべきである。現在のように強い力士が各部屋に散らばっている状況ではなく、仮に総当たりであれば優勝回数を伸ばせたのは明らかである。また二子山勢の後は武蔵川部屋が出てきた。横綱武蔵丸をはじめとして大関武双山、出島、雅山がおり、大変だったのは容易に想像できる。

続く