元横綱・曙の死去に関して 来歴 その1 入門まで

2024年5月16日

 大相撲で史上初めて外国出身横綱となり、プロレスラーに転身した曙太郎さんが4月上旬に亡くなったことが4月11日に分かった。死因は心不全であり、54歳だった。心よりご冥福をお祈りしたい。

 2017年4月にプロレスの試合後に倒れ、闘病生活が続いていた。またその時の様子が報道され、それを見て私は死を覚悟していた。それでも実際に亡くなるといろいろな思いが湧いてくる。ファンの私がそうなのだから、関係者にとってはショックは計り知れないものがあったはずである。ただ7年間にわたる闘病生活であり、家族は一区切りといった思いがあるかもしれない。それでは経歴を振り返っていきたい。

 曙はハワイ州オアフ島出身であり、東関部屋所属だった。また身長204センチ、体重215キロであり、突き・押し・右四つ・寄りを得意としていた。

 ハワイ州オアフ島で、アイルランド系の血を引く父と、キューバ系アメリカ人の母との間に生まれた。ハワイではバスケットボールをしていたが、大学は講義の単位よりも部活を優先させるコーチとの対立もあって僅か3か月で中退した。

 後にその体格を元関脇高見山の東関親方に見込まれ角界入りし、1988年3月場所で初土俵を踏んだ。元々親方は弟の方を入門させたかったようだが、弟は代わりとして兄を提供した。また来日した当初からハワイには帰れないと感じており、覚悟はできていたようである。

続く