勝負はここから! 熱海富士 師匠の紹介その2

 7月場所後に横綱に昇進したが、旭富士の大関在位17場所は横綱昇進者では武蔵丸の32場所に次ぐ大関在位記録であり、長すぎた感は否めない。横綱昇進後は1回優勝したものの、横綱在位は僅か9場所の短命横綱に終わった。すい臓炎が悪化したのもあるが、横綱昇進まで時間を要したのも原因であり、この結果は仕方がなかったと言える。

 そして親方としては日馬富士、照ノ富士の二横綱を育てたのは立派である。現役時代とは違って師匠としては周囲に一目置かれる存在となっている。

 また変わったのはそのイメージである。現役時代は柔和な印象を持たれていた。しかし親方となり、審判部長を務めると立ち合い不成立が起こる度に厳しい形相で怒声を飛ばす姿が話題となった。そしてNHKの大相撲中継でたまに解説者として登場しているが、一番厳しいコメントをする親方と言っていいと思う。ということで非常に厳しい親方というイメージが定着している。その関連で言えば現役時代は稽古嫌いとさんざんに書き立てられていた。しかしそれは一部マスコミ陣からの評判が悪かったのが原因である。実際は稽古場からマスコミ陣を追い出した後猛稽古をしていたようである。天才肌的な部分もあり、マスコミなどに稽古を見せるのが嫌だったのかもしれない。

続く