元関脇・寺尾の死去に関して 思い出の土俵 貴花田戦

 次は1991年3月場所の貴花田戦である。貴花田は後の横綱貴乃花である。この場所は18歳の新鋭貴花田が初日から10連勝での対戦となった。相撲は激しい突っ張り合いとなったが俵に詰まった貴花田が左廻しを取り、出し投げを打つと形勢が逆転した。最後は寺尾が土俵に詰まったところを貴花田が押し倒した。取組後と花道で寺尾は下がりを叩きつけ、悔しがった。前代未聞の行為であり、本来なら審判部に呼び出され、注意されてもおかしくないところである。しかし寺尾の性格面を分かっており、お咎めなしで終わった記憶がある。後のインタビューでは18歳は高校三年生の年齢であり、その18歳に負けたのが悔しかったと語っていた。また引退後は「今までで一番悔しかった取組」としてこの一番を挙げており、あの悔しさがあったから長く相撲が取れたと語っている。

 この相撲も千代の富士戦同様、真っ向勝負であり、寺尾の突っ張りを正面から受け止めた貴花田も素晴らしかった。結果的に力負けという形となり、寺尾が悔しがったというのはよく分かる。

 一方の貴花田は11連勝となったが翌日からは3連敗し、初優勝は逃した。確かに上位力士相手の3連敗なので妥当ではある。しかし寺尾戦で目一杯の相撲を取った反動が出たという見方もできる。寺尾の勝負に対する執念が貴花田の初優勝を阻止したと言ってもいいと思う。結局初優勝は5場所後の1992年1月場所となった。

 寺尾の相撲を観ていると勝つための手段をいろいろ考える中で土俵では真っ向勝負で臨む。そしてそこに情熱があるので相手の闘志にも火が点き、名勝負が生まれる。こういった遺志を今の力士にも受け継いでほしいと思う次第である。また普通は勝った相撲が思い出の土俵として残るのだが、負けた相撲が思い出として残るというのがいかにも寺尾らしいところである。

続く