琴奨菊引退 その2

2020年11月22日

 そして時が流れて2011年1月場所は西関脇で11勝4敗の好成績を挙げ、三役では初となる2桁勝利となった。続く5月場所でも10勝を挙げ、7月場所は大関獲りへの挑戦となった。そして7月場所は11勝を挙げたものの、終盤に平幕相手に連敗したので協会審判部の印象が悪くなり、大関獲りは次場所への持ち越しとなった。当時は同じ二所一門である稀勢の里も大関獲りが懸かっていたが、稀勢の里は立派な体格をしており、将来の横綱としても期待されていた。一方の琴奨菊は背は低く、出世にも時間がかかっており、お世辞にも将来が有望な力士とまでは言えなかった。少なくとも協会幹部からはそういう目で見られており、大関昇進に向けては結果を残すしかない。仕切り直しの9月場所は初日から7連勝をするなどの活躍で千秋楽まで白鵬と優勝争いをした。そして優勝は逃したものの12勝3敗の好成績を挙げ、大関昇進の目安となる直近3場所合計33勝に達したため、場所後に行われた臨時理事会で満場一致で大関昇進が決定した。当時を振り返っても大関昇進に向けてはギリギリの状況であり、このチャンスを逃せば大関昇進は厳しかったと思う。また当時は1横綱3大関がいずれも外国出身力士であり、日本出身の大関昇進ということで明るいニュースとなった。

 大関昇進後は私はいつまで大関の地位を保てるかという目で琴奨菊を見ていた。また2011年11月場所後には稀勢の里が、そして2012年3月場所後には鶴竜が大関に昇進して史上初の6大関時代の幕開けとなった。そして把瑠都が大関陥落するまで3場所に渡り続いた。琴奨菊はカド番の場所もあり、優勝争いにはほとんど絡めなかった。

続く