徳勝龍引退について 来歴 その2
大学四年生の時に木瀬部屋に入門し、前相撲からのスタートとなり、2009年1月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の同期には宝富士、皇風、貴ノ岩などがいる。初土俵後は序ノ口と三段目でそれぞれ各段優勝を果たし、同年11月場所で幕下に昇進した。その後も勝ち越しを続け、2010年3月場所では東幕下4枚目まで番付を伸ばした。しかしこの場所では初めての負け越しを経験した。また2010年5月27日に木瀬親方の不祥事問題に伴って部屋が閉鎖され、同部屋の力士27人と共に出羽海一門の北の湖部屋へ移籍した。当時は大所帯の部屋の移籍ということで話題となった。特に稽古後のトイレには力士が並ぶ状態で大変だったようである。その後同年11月場所は自己最高位となる東幕下2枚目となり、十両が目前だったが1勝6敗と大敗した。幕下上位の壁にぶつかったというところである。
2011年1月場所から四股名を本名の青木から徳勝龍に改名した。徳は出身高校の明徳義塾から、勝は近畿大学相撲部の監督だった伊東勝人からそれぞれ一文字ずつ取った。思い入れのあるいい四股名だと思う。そして相撲は北の湖親方から指導を受ける頃に押しから左四つへと相撲を変え、稽古を積み重ねて力を付けた。同年9月場所は東幕下筆頭で5勝2敗で勝ち越し、11月場所での十両昇進を果たした。そしてその11月場所では初日から7連勝し、十両優勝は逃したものの10勝5敗の好成績を残した。翌2012年1月場所は肘の故障のため2勝13敗と大きく負け越し、翌3月場所は幕下に転落した。しかし3月場所は勝ち越し、一場所での十両復帰を決めた。また同年3月18日に開かれた日本相撲協会理事会で木瀬部屋の再興が承認されて、徳勝龍らは4月1日付で同部屋の所属へ戻った。同年5月場所は東十両13枚目で8勝7敗で勝ち越すと十両に定着し、十両での土俵が続いた。
続く
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