なぜ霧馬山は大関に上がれたのか? 素直な性格

・素直な性格

 霧馬山の相撲を観ていると、師匠や鶴竜親方の指導を素直に聞き、それを実践しているというのがよく分かる。おそらく大抵の力士は自分なりにアレンジして相撲を取っていると思うが、霧馬山はアレンジせず、言われた通りに取っている印象がある。モンゴルから直接入門しているので我慢強さは持っていると思うが、私が見た限りでは相撲の中での自己主張はあまり強くない方である。勿論勝負に対する執念は持っているが、自分はこういう相撲を取るという強い信念までは見えてこない。また同じモンゴル出身で若手の豊昇龍のようなガツガツした部分は見られない。

 さて5月場所前に一つエピソードがあった。4月19日、この日は霧馬山は6月3日に引退相撲を控える部屋付きの鶴竜親方の綱を新調する綱打ちに参加する予定だった。しかし当日の朝になってから、師匠の陸奥親方に促されて一緒に荒汐部屋に向かった。そして若元春、阿炎らと申し合いを行った。霧馬山は思いもよらない展開に戸惑いながらも「我慢して稽古したので、そこからやる気が出てくる。ここで頑張った後にやる気が出るので」と前向きなコメントをしていた。おそらく今の日本人の若手力士なら師匠にこのような行動を取られたら不満に思う人もいるのではないだろうか。しかし霧馬山は素直に言うことを聞き、申し合いをこなした。霧馬山の人間性の一端が見える出来事だった。おそらく師匠も5月場所が大関獲りの場所であり、焦りがあったのだと思う。また相撲関係者が霧馬山の相撲を褒める一方、師匠と鶴竜親方は「今年中に大関に上がらないと」と度々語っており、部屋の人間だからこそ危機感を抱いていたようだ。いずれにしても師匠の思いを汲み、結果を出して大関に昇進した霧馬山は立派である。

続く