これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 相撲留学前まで
それでは照ノ富士を紹介したい。照ノ富士はモンゴル・ウランバートル市出身であり、伊勢ヶ浜部屋所属だった。また身長192センチ、体重176キロであり、右四つ・寄り・上手投げを得意としていた。3人きょうだいの真ん中で3つ上の姉と11歳下の妹がおり、一人息子として育った。母は勉強に厳しかったようだ。そして成績優秀であり、小学校3年生の時と高校2年の時は飛び級している。しかし小さな頃の写真を見ると集合写真でも体が一番大きい。同じ横綱でも白鵬はやせ細っていたが、大きな違いである。
相撲をやろうと思ったきっかけは、15歳くらいの時に足を運んだ、とある相撲教室である。既に身長185センチくらいあり、一週間くらい練習してわんぱく相撲大会に出たら優勝してしまったようである。その後親戚の白鵬のお父さんであるムンフバトさんに引き合わせ、日本人を紹介し、母と一緒に来日した。この時は尾車部屋で一週間ほど寝泊まりしてお世話になり、初めて相撲部屋の存在を知った。しかし特に稽古をするでもなく、半分観光のような感じだったみたいだ。しかしこの経験があったからこそ「やっぱり俺は相撲がやりたい」という気持ちが一層高まったようだ。ただ相撲部屋が見つからないことも考えられ、人生の選択肢を増やしておくため、大学に進学した。
大学では柔道に打ち込んだ。しかしやはり相撲がやりたかったようである。「相撲で強くなれば、圧倒的にいい生活ができるようになる」からである。別の言い方をすれば相撲が好きで好きでやりたかったという訳ではなかった。理由はともあれ、相撲に固執していたのは確かなようだ。
続く
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