目指すは武双山! 藤凌駕 拓殖大学出身力士に関して 元関脇・舛田山 引退後と現役時代の印象

 引退後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たったが、2004年9月場所後に分家独立して千賀ノ浦部屋を創設した。当初は同郷で同じ拓殖大学の後輩の栃乃洋を連れて独立するはずだったが年寄名跡を手当てすることができず、移籍を断念した。その代わり4人の内弟子を連れて独立した。その後2010年9月場所に舛ノ山が関取昇進を果たした。また現幕内の隆の勝も元弟子である。

 そして2016年4月10日の停年を前に元小結・隆三杉の常盤山親方と名跡交換した上で部屋を譲り、自身は千賀ノ浦部屋の部屋付き親方となった。その後2020年11月26日に元隆三杉と再び名跡交換して千賀ノ浦に戻った。翌2021年4月9日付で嘱託期間満了を迎えた。また再雇用制度が始まってから初の嘱託期間満了に伴う退職であった。

 印象に残っているのが左足の大怪我をした後である。攻めが弱くなり、徹底して叩く相撲を取るようになった。突きや右のど輪で起こし、相手が攻め返そうとするタイミングで叩く取り口はまさに職人芸だった。当時対戦相手から「分かっていても喰ってしまう」と嘆かせるほどだった。端から見ても何で食ってしまうのだろうと思ったくらいである。それでも面白いくらい叩きを決めていたのが忘れられない。現在は阿炎や友風、東白龍など叩きを得意としている力士が多いが、当時は上位力士を倒せるレベルで叩きが上手かったのは舛田山以外記憶がない。また前に出る相撲を取るのが王道の角界で、叩きで名を馳せたのはおそらく舛田山が初めてと思われる。当時の身長187センチは長身であり、当時はネッシーにちなんでマッシーとあだ名が付けられていたようだ。よって長身からの叩きということで分かっていても対応できなかったのかもしれない。元祖叩きのスペシャリストと言っても過言ではない。

続く