義ノ富士に追いつけ! 藤青雲 部屋の紹介 前身の武蔵川部屋時代

 前身は武蔵川部屋である。ちなみに現在の武蔵川部屋とは異なる。1980年11月場所中に現役を引退して、以降は出羽海部屋の部屋付き親方となっていた元横綱三重ノ海の武蔵川親方が、1981年8月に5人の弟子を率いて、出羽海部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を創設した。また部屋を新築後は地下1階には当時の相撲部屋としては珍しくトレーニングルームが完備されていた。そして武蔵川親方はハワイ出身の横綱武蔵丸のほか、大学相撲出身者の勧誘を積極的に行い、出島、武双山、雅山の三大関など数多くの関取を育て上げた。一時期は角界最多数の関取を擁して一時代を築いた。

 また武蔵川親方は「二子山勢に対抗できる部屋を作れたことで、相撲ファンにサービスできたと思う」と当時を振り返っている。この部分は非常に大きく、当時の二子山部屋は横綱若乃花、貴乃花をはじめとして大関貴ノ浪、関脇貴闘力、関脇安芸乃島などがいたが同部屋なので直接対決がない。よって私としてはストレスを感じていた記憶がある。しかしその後武蔵川部屋の力士が台頭し、少しずつ風穴を開けていった。そして二子山部屋の勢力が衰える一方、武蔵川部屋の力士が幅を利かせるようになった。その後朝青龍が台頭して以降は強い力士が点在するようになったので、今は直接対決が当たり前の状況になっている。しかし一つの部屋に強い力士が集まると、観ている方からすれば相撲が面白くなくなってしまう。そういった意味で二子山勢に勢いがあった頃は孤軍奮闘だった曙を私は応援していた。

続く