なぜ炎鵬は関取復帰できたのか? 炎鵬の来歴 四股名変更と伊勢ヶ浜部屋への転籍

 2024年3月場所は番付が東序二段54枚目まで下がった。そして心機一転すべく四股名を「炎鵬友哉」と初土俵時に名乗っていた名前に戻したことを明らかにした。またこの場所からの復帰を目指していたが故障箇所の回復が捗らず、主治医と相談した結果3月場所も休場することになった。

 2024年3月28日、日本相撲協会の理事会で宮城野部屋は同月4月以降無期限で伊勢ヶ浜一門預かりとなり、宮城野部屋に所属する全員が同一門の伊勢ヶ浜部屋に転籍することを決定した。

 次の5月場所は、番付運次第では序ノ口陥落の可能性もあったが、東序二段100枚目に踏み止まった。転籍後も伊勢ヶ浜部屋で申し合いに参加していたが、番付発表後は大事を取って軽めの調整が進んでおり、5月場所も初日から全休した。

続く