これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 大関へのスピード昇進
そして平幕上位で力を蓄えると2015年3月場所で新関脇となり、13勝2敗の好成績で殊勲賞と敢闘賞を受賞した。また新関脇での13勝は史上最多タイ記録となった。翌5月場所は12勝3敗で幕内最高優勝を果たした。そして場所後の番付編成会議で平成生まれ初の大関誕生となった。審判委員の一部からは「3場所前は平幕だったのが引っかかる」との声もあった。しかし「直前場所での優勝は大きい」と当時の北の湖理事長が重視したこともあり、最終的に異論は出ずに決定した。なお、三役を2場所で通過した上での大関昇進は、年6場所制となった1958年以降では初めてとなった。私も大関昇進は反対ではなかったが、そのスピードの速さに驚いた記憶がある。
その一方でタニマチとの付き合いもあり、連日のように朝まで飲んでいたようである。しかしどんなに二日酔いでも師匠の顔を見ると酔いが一気に冷め、そのおかげで稽古ができていたらしい。そしてこのような日々が大関昇進後も続くことになる。
続く
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