2025年1月場所個別評価 照ノ富士

 今場所は休場明けだったが2勝3敗という成績で6日目に引退を表明した。初日の若隆景戦は右からの肩透かしにあっさりと土俵に這った。痛い黒星スタートとなったが2日目からは連勝した。しかし4日目の翔猿戦は捕まえきれず、右からのおっつけに泳いで送り出され、2敗目となった。翌日はまずは休場届を提出し、その翌日に改めて引退届と年寄「照ノ富士」となる届けを出し直した。

 場所前の「後はやるだけなので。それで駄目だったら駄目で、結果はどうなろうと認めるしかない」とのコメントは少し気になった。ただ引退に向けて待ったなしという状況ではなく、私的には駄目だったらもう一回やり直せばいいではないかと思っていた。しかし後から振り返るとこの時点で退路を断っていたようだ。また横綱が進退を懸けるのは東京場所が多く、覚悟を持っての土俵だった。

 初日に敗れた後、師匠の伊勢ケ浜親方に「もう一回負けたら、引退したい」と伝えたようだ。心の準備はできていたようである。翌2日目は母と妻と2歳になる一人息子の照務甚(てむじん)君を館内に呼んでいたことを自ら明かした。そして相撲は隆の勝に勝ち、169日ぶりの白星を挙げた。しかし先述の通り4日目に翔猿に敗れて2敗目となり、引退を決断した。

 実質21場所、3年半にわたって一人横綱として相撲協会の屋台骨を支えてきた。休場も多かったが横綱昇進時から膝はボロボロであり、休場が増えることは想像できたし、協会もある程度織り込んでいたものと思われる。私的にはもっと早く引退するものと思っていたので満身創痍の中、よく頑張ったと言える。

 勿論優勝回数10回も素晴らしい。しかし個人的に思うのが照ノ富士が横綱に上がれていなかったら大相撲はどうなっていたのか?、ということである。勿論他の力士が横綱に上がっていた可能性はある。しかし仮にそうであったとしても、平幕優勝がこれまで以上に増え、番付崩壊が声高に叫ばれていたことは容易に想像がつく。その点で照ノ富士のおかげで土俵が引き締まったと断言できる。

 それに加えて怪我を押して巡業に参加し、横綱土俵入りを披露しただけでなく、若手力士に技術面をアドバイスするなど、本場所の土俵以外で多大な貢献をしてきた。私としては横綱としての役割を十分果たしたと思っている。本当にお疲れさまでした、そしてありがとうございました、と言いたい。