元横綱・曙の死去に関して ハワイ出身の紹介 武蔵丸 貴乃花戦と引退後に関して

 2001年5月場所は14日目に貴乃花が右膝半月板損傷の大怪我を負った。そして千秋楽の本割結びでは突き落としで貴乃花にあっさりと勝ち、決定戦に持ち込んだ。しかし決定戦ではまさかの上手投げに横転し、優勝を逃した。また優勝した貴乃花はこれが最後の優勝となった。

 その後7月場所からは貴乃花の長期休場により、実質7場所の間一人横綱の時代が続いた。決定戦で貴乃花に負けたショックは大きく、半年くらいは投げやりになっていたみたいだ。しかしその後は奮起し、貴乃花との再戦を望み、心を入れ替えて稽古に励んだ。その甲斐あってか同年11月場所は13勝2敗で7場所ぶり9回目の優勝となった。

 2002年は1月場所は途中休場したが3,5月場所で連覇を達成した。そして9月場所は千秋楽相星決戦で長期休養明けの貴乃花を倒し、13勝2敗で12回目の幕内優勝を果たした。しかし奮闘もここまでだった。同年11月場所は持病の左手首の故障が悪化し、途中休場した。場所後に手術を決行したものの結局全快には至らなかった。そして2003年11月場所で進退を懸けるも3勝3敗と波に乗れず、7日目に土佐ノ海に敗れた後、師匠と話し合い、現役引退を決断した。

 引退会見ではかつて高校時代でアメフトの試合で首を痛めており、入門当初から左肩にはほとんど力が入らなかったことを明らかにした。また師匠の武蔵川親方にすら引退会見のその時まで語っていなかった。個人的にはもう少し優勝できたはずだと思っていたが、左肩を痛めていたということで納得である。

 存在としては同じハワイ勢の小錦や曙のような派手さはなかった。また曙や若貴が衰えてきた後に力を発揮し、土俵を支えたという印象である。特に右差しの相撲は凄かった。足腰が良かったこともあり、腕を返すと相手の体が浮き上がっていた記憶がある。

 また引退後は親方となった後、武蔵川部屋を独立(事実上の再興)し、師匠として後進の指導に当たっている。若貴と曙は協会から離れた一方、武蔵丸は部屋の師匠であり、今思えば合点がいく。3人の取組は殺気立っていたが、武蔵丸はそんな様子は全く見られず、淡々と相撲を取っていた印象である。そして3人に巻き込まれる形で相撲を取っているようにも見えた。また土俵上だけでなく人間としてもバランスが取れており、気は優しくて力持ちといった感じの力士だった。同じハワイ勢では曙はライバルということもあり、あまり仲が良くなかった。一方小錦とは今でも仲が良く、時々小錦が部屋を訪ねることがあるようである。曙とは長らく連絡を取っていなかったようだが、同郷の二歳上の先輩であり、ショックだったのは言うまでもない。

続く