元横綱・曙の死去に関して ハワイ出身力士の紹介 武蔵丸 横綱昇進まで

 ハワイ州オアフ島出身であり、武蔵川部屋所属だった。また身長192センチ、体重224キロであり、突き・押し・右四つを得意としていた。最高位は横綱であり、1990年代から2000年代始めにかけて活躍した。サモアで生まれ、父はトンガ人、母はサモア人である。6歳の時に一家でハワイに移住した。そして大相撲入りの勧誘を受けたことを機に、過去に相撲との接点が全くなかったにも関わらず「大きな体を生かして家計を助けよう」と決心し、武蔵川部屋に入門した。元高見山が師匠だった東関部屋を含めて4つの部屋から勧誘があったが、最初に勧誘してくれた縁で武蔵川部屋を選んだ。小錦、曙と違ってハワイ出身ということを除けば表立った接点はなかったのが面白い。

 出世は早く、番付に四股名が載って二年後の1991年11月場所で新入幕となった。終生のライバルとなる貴ノ浪などと同時の新入幕であり、東前頭12枚目で11勝4敗の好成績を挙げ、敢闘賞を受賞した。そして平幕は僅か3場所で小結に昇進し、三役に定着した。その後1994年1月場所後に貴ノ浪と同時に大関昇進を果たした。

 大関昇進後は同年7月場所で史上初となる外国人力士による幕内全勝優勝を果たした。ただその後は終盤まで優勝争いに加わったものの横綱の曙、貴乃花にあと一歩及ばない成績が続いた。また左肩を痛めた影響で突き押しから右差しで腕を返して寄る相撲に変えた。

 1996年1月22日に日本国籍を取得し、本名を「武蔵丸光洋」とした。その後1999年5月場所で13勝2敗で4回目の優勝を果たした。また大関として二場所連続優勝であり、場所後に横綱昇進となった。ちなみに大関在位32場所で負け越しとカド番は一度も経験しておらず、これは大相撲史上最長の記録である。また武蔵丸の横綱昇進により、平成に入ってからは二例目の四横綱時代となった。

続く