元横綱・曙の死去に関して ハワイ出身力士の紹介 小錦 大関陥落後と曙戦に関して

 その後大関から陥落し、平幕に下がった後も相撲を取り続けた。また大関時代は憎まれ役の立場だったが、平幕に落ちても現役に執着するその姿は、最盛期にも勝る人気を得ていた。同じく大関から陥落していた霧島との対戦や、小兵の舞の海との体重差約200キロの異色対決は大きな話題となった。そして1997年11月場所で現役を引退した。

 引退後は年寄「佐ノ山」を襲名し、高砂部屋付きの親方として相撲協会に残ったが1998年7月場所をもって退職した。現在はタレントとして活動している。

 横綱にはなれなかったが、その存在感と人気は横綱クラスであり、人格者として角界の人気と地位を向上させた。1990年代後半は多くのCMに出演し、「CMの横綱」と呼ばれたこともあった。時に誤解されることはあったものの口は達者であり、横綱の肩書は必要なかったのかもしれない。

 また曙戦に関しては1993年11月場所13日目、負ければ大関陥落するという一番が曙戦だった。結果は曙の完勝であり、小錦が関脇に転落することが決まった。曙は引退時に「あまりに辛すぎる恩返しだった」と語っていた。一方の小錦は「仕方がない。でも、いつかこういう日が来るだろうと覚悟はしていた」と語り、曙とは対照的に淡々とコメントしていた。そして曙は翌日小錦に自身の勝利を謝ったが「これからの力士であるお前が俺に勝てないでどうする」と叱責されたそうだ。葬儀では40年来の付き合いを語っており、しかも後輩に先立たれたということでショックは大きかったと思う。先述の曙戦では曙が勝った後に小錦にぺこりと頭を下げており、同じハワイ勢ということで友情もあったものと思われる。年は違うが角界で一緒に戦ってきた戦友と言ってもいいかもしれない。小錦は葬儀で「歴史に残る力士」とたたえていたが、小錦も立派な功労者である。

続く