元横綱・曙の死去に関して 協会退職 格闘家デビュー プロレス参入
現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていた。しかし東関親方との関係や将来設計、日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き、2003年11月5日に日本相撲協会に退職届を提出し受理された。翌11月6日に記者会見を開き、格闘技K-1参戦が発表された。
そして2003年12月31日の大みそかにデビュー戦となり、ボブ・サップと対戦したが1ラウンドKO負けとなった。また曙がうつ伏せになって倒れているシーンは瞬間最高視聴率43%を記録し、「NHK紅白歌合戦」の視聴率を上回った。準備期間は僅か二か月であり、勝てというのが無理な話である。それでも元横綱がK-1のリングに上がったということで注目を浴びたのは事実である。今振り返っても元横綱がうつ伏せで倒れるシーンは衝撃的だった。それが紅白超えの視聴率となって表れたということだと思う。その後キックボクシングでは結果が残せず、総合格闘技に挑戦するも同じく成果は上げられなかった。
そして2005年からはプロレスに参入し、フリーランスレスラーとして全日本プロレスやハッスルなどをはじめ様々な団体、興行に参加した。
その後2013年9月1日付で全日本プロレスに入団し、同団体所属選手となった。全日本では三冠ヘビー級王者になるなど活躍し、後に全日本プロレス運営会社の取締役に就任した。2015年11月2日付で全日本プロレスを退団し、取締役も辞任した。そして2015年12月4日、株式会社「王道」の発足を発表した。自らのマネジメント事務所、並びにプロレスラーとしての所属団体である。
2017年4月11日、福岡県大牟田市で行われた興行後に体調の異変を訴え、救急搬送された。何とか一命を取り止め、同年10月からリハビリを始めた。しかし2018年9月下旬の時点では、緊急搬送されてから37分間の心停止に見舞われたため重度の記憶障害が後遺症として残り、会話もおぼつかず、食事も着替えもままならない状態であった。記憶障害に関しては直近の記憶は失ったままだったが大相撲時代の記憶は鮮明に覚えていたようだ。
そして2024年4月に心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳だった。
続く
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