元横綱・曙の死去に関して 膝の怪我との闘い そして現役引退 

 1994年5月場所に両膝を故障した後は若貴らの活躍や、同じハワイ出身で後輩の武蔵丸の台頭もあり、優勝間隔が空くことが多くなった。2001年1月場所の引退までのおよそ6年間で幕内優勝は4回に留まった。その間に1996年4月22日に日本に帰化した。またその後は個人後援会が結婚に反対した末解散し、解散以降は資金難に苦しめられ、年寄名跡を取得できなかった。よって怪我だけでなく、私生活でも苦境に立たされていた。

 2000年7月場所は初日から13連勝し、13勝2敗という成績で19場所ぶり10回目の優勝を達成し復活を果たした。しかし自身はこれに満足できたため引退することを考えた。しかしその後「もう少しだけ頑張ってみよう」と思い直した。翌9月場所は優勝次点に終わったものの、千秋楽結びの一番では14戦全勝だった武蔵丸に唯一の黒星を付け、先輩横綱の意地を見せた。次の11月場所は三横綱五大関が全員千秋楽まで皆勤し、更に8力士全てが9勝以上というハイレベルの中、14勝1敗の成績で二場所ぶり11回目の優勝を果たした。そしてこれが結果的に自身最後の幕内優勝となった。

 翌2021年1月場所は、持病となった両膝の怪我の悪化により全休した。その1月場所終了直後の2021年1月22日、両膝の回復がこれ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退を表明した。膝の痛みという理由は分かるが、当時は驚いた記憶がある。突然の引退では2021年7月場所で全勝で復活優勝を果たした後9月場所は全休し、場所後に引退を表明した白鵬のケースと似ている。来日前の10歳の時には既にアメリカンフットボールでの負傷で半月板を損傷して手術し、中学・高校時代も痛みに耐えていた。よって膝の状態が限界を超えていたのは容易に想像できる。また引退後は若乃花、貴乃花とともに相撲人気を高めた貢献者として、日本相撲協会から功労金1億円が贈られた。

続く