元横綱・曙の死去に関して 佐渡ヶ嶽部屋への出稽古と対琴錦戦 その1

 また2メートルを超える体格を生かす技術を身に付けるために、師匠の元関脇高見山の東関親方は積極的に出稽古をさせた。特に佐渡ヶ嶽部屋には新弟子の頃から大関に昇進するまで毎日のように通っていたらしい。

 そして当時佐渡ヶ嶽部屋にいたのが現朝日山親方の元関脇琴錦である。琴錦は初顔から曙を8勝1敗と圧倒していた。しかしその後は3勝29敗であり、形勢が逆転した。また3勝のうち1つは不戦勝だった。曙から見れば当初の天敵を克服し、お得意さんにしたことになる。そうなったのはなぜか?。

 曙の新弟子当時、琴錦は新十両に昇進するなど勢いに乗っていた時期である。曙は確かに体は大きいが、下半身はもろく、いなせばすぐに落ちる。よって子供扱いにしていた。

 その後三段目に上がる頃から突き押しの威力が明らかに増して番付を駆け上がった。一方の琴錦も順調に力を付け、新小結で勝ち越していた。その後曙も力を付け、三役で横綱・大関を倒し、三賞の常連になった。番付でも成績でも琴錦と肩を並べた。

 しかし相撲は琴錦に勝てず、まさしく天敵だった。長いリーチを活かした突き押しをお見舞いしようとしても、俊敏な琴錦の動きにひらりとかわされ、土俵を割るといった相撲の繰り返しだった。

 ところがそんな状況が劇的に変化した。平成4年春場所、曙が上手投げで勝って連敗を7で止めると、そこから11連勝した。そして連敗した後15連勝するなど、立場が完全に逆転した。

続く