元関脇・寺尾の死去に関して 思い出の土俵 千代の富士戦

 思い出の土俵としては2番挙げたい。まずは1989年11月場所の千代の富士戦である。相撲は立ち合いから寺尾が激しく突っ張るも千代の富士は下からあてがって応戦した。寺尾の突っ張りが何発か顔面にも入る激しい相撲となったが千代の富士が寺尾の右を手繰って左へ回り込むと後ろに回り、抱え上げると豪快に土俵に叩きつけた。常々千代の富士は力士は顔が命と語っており、張り手を非常に嫌った。しかし寺尾は千代の富士のタブーを破り、顔面に突き押しを入れた。それに怒った千代の富士が吊り落としで仕返しをしたということである。しかし大横綱がわざわざ吊り落としをしたということで取組後千代の富士は批判を浴びた。

 そして当時は毎場所のように優勝していた千代の富士だったが、この場所は小錦に優勝を許すというオチが付いた。また6日目は両国に敗れ、金星を献上したが両国をはじめ、対戦相手は突き押しで臨み、千代の富士をいら立たせていた。もっとも両国は寺尾とは違って顔面は避けていたのだが。

 現在は今と違って横綱に張り手を見せる力士もいるが、当時は考えられなかったことである。また勝負のためなら手段を選ばずということで禁を破ったというのも寺尾らしい。そして情熱があり、相手を本気にさせるような相撲を取っていた。千代の富士戦がその最たる例である。

続く