目指すは大関! 豪ノ山 師匠の元豪栄道について 大関昇進まで

 次は師匠の武隈親方を紹介したい。元大関豪栄道であり、小学校5年生の時にわんぱく横綱、そして埼玉栄高校時代は高校横綱となり、全日本選手権では高校生としては史上4人目となる3位入賞を果たし、鳴り物入りで境川部屋に入門した。

 入門後は順調に番付を上げるも関脇で停滞した。勝ち越しはするものの二桁勝利までは挙げられない。また二桁勝利を挙げても二場所続かなかったので大関昇進への道がなかなか開けなかった。そして2014年7月場所で関脇連続在位が14場所となり、昭和以降では単独1位となった。地力はあるものの、大関に上がれるほどの数字は残せないということを象徴した記録である。また同年5月場所は8勝止まりであり、7月場所は大関獲りの場所ではなかった。しかし7月場所は14日目に11勝目を挙げた。3月場所では12勝を挙げており、理事会で千秋楽の琴奨菊戦で勝てば大関昇進を認める方針を決定した。伊勢ヶ浜審判部長が「関脇で安定しているので大関になってもまだまだやれるだろう」と評価した。そして千秋楽は琴奨菊を寄り切りで破り、場所後の番付編成会議を経て大関昇進が決定した。

 ちなみに大関昇進は関脇・小結の地位で、3場所33勝以上を挙げることが一つの目安となる。また関脇・小結の地位で二桁勝利を挙げれば大関昇進の起点となり、昇進が視野に入ってくる。

 これを豪栄道に当てはめると昇進二場所前の成績が8勝である。全てではないが、ほとんどの力士は昇進二場所前は二桁勝利を挙げている。また昇進二場所前の一桁勝利は1992年7月場所に大関に昇進した曙までさかのぼる必要がある。また豪栄道以降は10人が大関に昇進しているがその例はない。ということで通常の大関昇進ではなく、審判部の温情が加わっての大関昇進だったことは否めない。

続く