大嶽部屋継承に関して 元関脇貴闘力に関して 入門まで

 貴闘力は1967年9月28日に福岡県福岡市博多区で生まれた。父は戦後の物資難の中で小学校1年生の頃から沖仲士(おきなかせ)の仕事に従事していた。そして父はかつて力士志望であり、港湾作業でも70キロのセメントを一人で三つ担ぐ力自慢であった。しかし当時現場においては彼ですら敵わない怪力の持ち主として「米川さん」(後の三代目朝潮太郎)が話題になっていた。結局大相撲入門の機会はなく、自身が果たせなかった夢を息子の忠茂に託した。そして忠茂は後に、相撲の世界で発揮したパワーは父から遺伝したものだと、その点で感謝を述べている。

 父親はギャンブル依存症であり、借金取りが連日自宅に押し掛け、逃げるために小学校を6~7回も転校したということで賭博は大嫌いだったようだ。しかし父親は中学時代に福岡で麻雀屋経営を成功させた。そして忠茂も父の店で麻雀牌磨きで父から小遣いを得ていたが、その金を元手に客から賭け麻雀で金を巻き上げ、月に30万円の金を得ていたらしい。そして稼いだお金で競艇に賭けていたが、ある日補導されたことをきっかけに更生のため柔道の名門である福岡市立花畑中学校を紹介された。2年生から柔道を始めたようである。

 この柔道部には一年後輩に元プロレスラーの佐々木健介が在籍していた。3年生では全国大会に出場し、団体戦の準決勝で古賀稔彦を擁する世田谷区立弦巻中学校に敗れている。中学卒業後は柔道で天理高校からの勧誘もあった。しかし賭博好きの父親から逃れるため、柔道の道には進まずにかつて体験入門した藤島部屋に正式入門した。

続く