これぞ理想の横綱! 照ノ富士 来歴 鳥取城北時代

 そして18歳の時に白鵬が鳥取城北高校に話をつけてくれた。いわゆる「相撲留学」のチャンスである。家族の後押しもあり、2010年3月末、高校3年生の年齢で鳥取城北高校に入学し、本格的に相撲の道を歩み始めた。歳は3年生と同じ18歳だが、「新入生」として部に迎え入れられた。

 モンゴルから一緒に来たのは照ノ富士を含めて4人だったが、そのうちの一人はすぐに辞めて国に帰ってしまった。他の二人は元関脇・逸ノ城と水戸龍である。

 稽古は本当にきつかったようである。稽古で勝てず、小さい人にも勝てなくて自信をなくした時期もあった。それでも石浦監督からは「8月のインターハイに出す」と言ってもらっていた。その代わり、一番しんどい稽古をさせられていた。他の子が休んでいてもやらされていた。

 しかしその甲斐あってインターハイの団体戦に出場し、全勝で団体優勝に貢献した。また鳥取城北にとっても初のインターハイ優勝となった。

 寮では逸ノ城との2人部屋であり、監督に「ガナ(照ノ富士のあだ名)がもっとあいつに気合いを入れてやるように言ってくれ」とよく言われていたようである。逸ノ城は気が優しく、性格が照ノ富士との番付の差を生んだ印象がある。ただそこが逸ノ城のいいところでもあり、勝負の世界には合わなかったのかもしれない。

 また名門校ということで生活のルールも厳しく、甘いものを食べるのは禁止し、飲み物は水とお茶しか飲んじゃダメだったようである。照ノ富士の引退時に水戸龍は「お菓子、ジュースが禁止だったけど、逸ノ城も一緒に3人でこっそりコンビニの裏で食べて帰った思い出があります」と当時を懐かしんでいたようだ。すぐに思い浮かぶ光景であり、微笑ましい。

続く