2024年3月場所を振り返って 優勝争い 千秋楽 尊富士優勝 照ノ富士の存在
そしてもう一つは横綱の存在である。14日目の夜、救急車で運ばれた大阪市内の病院から部屋に戻ると、一度は師匠の伊勢ヶ浜親方に出場を止められた。そして断念しかけたが、その後自室に照ノ富士が「どうだ?」と訪ねてきた。尊富士は「この状況はきついです。歩けないですし」と答えた。すると横綱の言われた言葉に胸を打たれた。「お前ならやれる。記録はいいから、お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。最後まで出ることが大事。負けてもいいから。しょうがない。でも、このチャンスは戻ってこない。オレにもこういう経験があるから」。この言葉を聞き、さっきまで歩けなかったのが少し歩けるようになった。横綱に言われて急にスイッチが入った。そして再度師匠を訪ね「出させてください」と伝えた。
横綱との関係は高校時代から続いており、間近で横綱の苦労も見てきているはずである。そして横綱は幾多の修羅場をくぐり抜けてきており、これほど心強い激励はない。しかも師匠ではなく同じ力士の立場なので言葉に説得力が増す。確かに照ノ富士の言葉は精神論である。しかし自らの経験をもとに語っており、横綱の言葉となれば重みが増す。今後の尊富士の土俵人生がどうなるかは分からないが、少なくとも初優勝に関しては後で振り返っても照ノ富士に感謝することになると思う。また照ノ富士は尊富士の闘争心に火を点けたという意味でいい仕事をしたと言える。
続く
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