元関脇・寺尾の死去に関して 来歴その2

 その後1985年1月場所で12勝3敗の好成績で十両優勝を果たし、翌3月場所で新入幕となった。またこの場所は寺尾を含めて4人が新入幕となったが寺尾と同じく花のサンパチ組(昭和38年生まれ)の一人として活躍した元関脇・琴ヶ梅、地味ながらも金星を4個獲得し、上位キラーとして活躍した元小結・花乃湖、三役には上がれなかったものの学生横綱で同志社大学から入門した服部がおり、話題性もあった。そして新入幕4人の中で負け越したのは寺尾一人だった。他の新入幕力士と比べて体がまだまだできておらず、一場所での十両陥落は仕方がなかったと言える。しかし唯一負け越した寺尾が4人の中で一番長く関取を務めたのだから面白い。翌場所はその悔しさをぶつけて二度目の十両優勝を果たし、同年7月場所に幕内に復帰すると10勝をマーク。その後は幕内に定着した。

 次男の逆鉾は寺尾に先んじて幕内後半の土俵で活躍しており、寺尾が番付を上げると兄弟記録を残した。1986年9月場所は同時三賞受賞、1989年3月場所には同時関脇を果たした。

 そして寺尾は三役に定着していた時はあったが三役での二桁勝利はなく、その点では大関候補ではなかった。やはり平幕で上位力士と対戦して勝つというのがイメージとして強く残っている。その象徴となるのが金星である。金星とは平幕力士が横綱と取組して勝利することである。このため三役以上が横綱に勝っても金星とはならない。また不戦勝や反則勝ちの場合も金星とはならない。金星は大乃国から3個、千代の富士、北勝海から1個ずつ獲得した。また1995年3月場所には貴乃花から初の供給となる金星を獲得した。そして1999年11月場所では武蔵丸に勝ち、36歳で4年ぶり7個目の金星を獲得した。

続く