目指すは武双山! 藤凌駕 拓殖大学出身力士に関して 元関脇・舛田山 現役時代
拓殖大学出身力士は私の中ではあまり記憶がない。しかし調べてみると数は少ないながらも関取を輩出している。まずは過去の力士に関して2人紹介したい。
・元関脇・舛田山
石川県七尾市出身で春日野部屋所属だった。また現役時代は身長187センチ、体重152キロであり、突っ張り、押し、叩きを得意としていた。
大学卒業後は地元の金沢市役所への就職が内定していたが、それを蹴って大学卒業と同時に一番初めに誘いがあった春日野部屋に入門した。そして当時出羽海部屋に同音の増田という力士がいたため、本名に山を加えた「舛田山」の四股名で1974年3月場所で幕下付出で初土俵を踏んだ。同期で日大卒の出羽ノ花がライバルだった。
1975年1月場所で十両に昇進したが、同年7月場所7日目の取組で右かかとを骨折し、救急車で運ばれた際には「もう再起できない。終わったな。いつ辞めようか」と観念したらしい。再雇用期間満了の際の取材で「今もボルトが入っている」と答えるほどの重傷であった。その後は苦労したが、1976年11月場所で新入幕を果たした。
長らく平幕に甘んじていたが、1980年5月場所は11勝を挙げ、敢闘賞を受賞すると同年11月場所は横綱若乃花から金星を挙げて殊勲賞を受賞し、翌1981年1月場所で小結に昇進した。しかし同年9月場所で左足の腿腱筋を断裂し、十両に陥落した。
この頃から攻めが弱くなったが、徹底的に叩く相撲を取るようになり復調すると、1982年7月場所で再入幕を果たした。その後再度上位に進出し、1983年7月場所は小結に返り咲いた。そしてこの場所は9日目に横綱千代の富士を引き落としで破り、8勝7敗で勝ち越して2度目の殊勲賞を受賞した。翌場所は自己最高位となる関脇まで番付を上げた。その後も幕内上位で相撲を取り続けたが、1985年5月場所を最後に十両に陥落した。
以降は十両での土俵が続いたが1987年7月場所では36歳3か月で十両優勝を果たし、現在でも最年長記録である。しかし幕内には戻れず、1989年7月場所限りで現役を引退し、年寄・千賀ノ浦を襲名した。
続く
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