角界のおにぎり君! 隆の勝 師匠の常盤山親方の紹介 現役時代

 師匠の常盤山親方は元小結・隆三杉である。神奈川県川崎市川崎区出身で二子山部屋所属だった。また現役時代の体格は身長179センチ、体重150キロであり、突っ張り、押しを得意としていた。

 中学卒業と同時に1976年3月場所で初土俵を踏んだ。同期生には後の大関・北天佑や幕内・天ノ山(幕下付出)などがいた。出世は早く、1981年1月場所で19歳8か月の若さで新十両となった。その後同年7月場所で新入幕を果たした。一方三役昇進は新入幕の場所から10年、58場所目と史上1位のスロー出世だった。丸い体を利した押し相撲で長く幕内を務め、愛嬌のある風貌で「ドラえもん」のニックネームで親しまれた。そして1995年11月場所限りで現役を引退した。

 隆三杉が幕内で土俵を務めていた頃の二子山部屋は横綱・隆の里、大関・若嶋津、関脇・大寿山がおり、そうそうたる面子だった。隆の里は横綱昇進時はおしん横綱やポパイなどと呼ばれ、親しまれた。若嶋津は南海の黒豹と言われ、美男力士としても人気があった。そして大寿山は若嶋津と同期であり、北の湖や千代の富士を破るなど活躍し、現役時代は「ムーミン」と呼ばれていた。一方の隆三杉は平幕での土俵がほとんどであり、金星も大乃国から挙げた1個のみだった。よって派手さはなく、地味な力士という印象だった。その意味では上記3人とは対照的な存在だったと言っていい。しかし幕内在位は71場所であり、当時の相撲ファンであれば誰もが覚えているはずである。

続く