四股名はどうなる? 草野 師匠の存在 四つ相撲キラー
そして個人的には復活したこと以上に横綱に上がって3年半に渡って横綱の地位を守り続けたことが立派だったと思っている。確かに膝の怪我もあり、休場が多かったのは事実である。しかし晩年の白鵬同様、出場した時は圧倒的な強さを見せ、遂には優勝回数10回を達成した。優勝回数二桁ということで強い横綱として今後も名前を残すことになる。
相撲は右四つ、寄りを得意としており、それと同時に極めて相手の動きを止める相撲も得意だった。そして四つ相撲は技の引き出しをたくさん持っており、同じく四つ相撲得意の力士は苦しめられた印象がある。豊昇龍、霧島、朝乃山が1回も勝てなかったことがそれを象徴している。一方貴景勝や大栄翔など押し相撲が得意の力士は苦手としていた。四つ相撲と押し相撲でここまで差が出る力士は珍しく、上位力士の中では他に記憶がない。それでも勝ちにこだわった白鵬とは違って相手の当たりを正面から受ける横綱相撲を取っており、非常に立派だった。まさに日本出身力士以上に横綱らしい横綱だったと言える。
続く
最近のコメント