四股名はどうなる? 草野 もし宮城野部屋に入門していたら

 元横綱白鵬が師匠の宮城野部屋に入門予定だったが、先述の通り入門直前に部屋が閉鎖されたため、伊勢ヶ浜部屋に入門している。ということで私的には宮城野部屋が閉鎖されていなければどうなっていたか考えてしまう。

 おそらく伊勢ヶ浜部屋ほど厳しい環境ではなかったと思われる。また別の部屋への転籍が認められなかったため、伊勢ヶ浜部屋に転属する際に9人が現役を引退したようだ。そして草野は結果として厳しいだけでなく、力士40人前後の大所帯に放り込まれることになった。

 ただ宮城野部屋に関して一つ気になる部分があった。2022年7月28日付で元幕内竹馬山の定年に伴い、白鵬が名跡交換する形で宮城野を襲名し、部屋を継承した。そして部屋が閉鎖されるまでの約2年間で伯桜鵬、天照鵬、輝鵬(現川副)の3人の関取が誕生した。しかし3人共に怪我などで幕下に番付を下げ、関取に復帰しているのは伯桜鵬一人である。確かに力不足で幕下に落ちるのは仕方がないことである。しかし私としては関取になった以上、一人前になったということで関取の地位を守っていかなければならないと思っている。また天照鵬と川副は幕下での土俵が長くなっており、元白鵬は要領よく力士を育成しているのではないかという疑念を持っていた。よって草野が宮城野部屋に入門していたら関取昇進は早かったかもしれないが、その後壁にぶつかっていた可能性もあると見ている。

 一方伊勢ヶ浜部屋は関取になった後幕下に番付を下げる力士はほぼおらず、関取の地位を守っている。稽古で地力を付けた上で関取に昇進しているからだと思う。そして草野も自ら志して入門した部屋ではなく、その意味では大変だったはずである。しかし厳しい環境だったからこそ精神的にも逞しくなったと言える。入門当初は新弟子ということもあり稽古後の風呂や食事の時間が短く、食べることよりもとにかく寝たかったようである。その結果体重が減り、幕下付け出しから新十両まで5場所を要した。しかし今振り返ると脂肪がなくなった後で筋肉が付き、理想的な成長曲線を描いている。よって伊勢ヶ浜部屋に入門したのは正解だった。多少時間がかかったが部屋で揉まれてきており、地力が付いたのは確かである。そして地力が付いたからこその快進撃のように見える。おそらくこのままの勢いで三役までは上がれそうだ。そして三役に上がった後、一気に大関に上がれるかが焦点となりそうだ。

続く