負けん気の塊! 若碇改め藤ノ川 同部屋の錦木に関して 新入幕まで
藤ノ川は高校時代に着々と実績を積み上げ、複数の大学からも誘われた。しかし父の甲山親方の「今は幕下も多いし、錦木が現役バリバリのうちに胸を出してもらった方が絶対にいい」という助言に従い、伊勢ノ海部屋に入門している。そして入門後は順調に出世し、新入幕となったことで父の助言は間違っていなかったことになる。それでは入門の決め手となった錦木を紹介したい。
錦木は岩手県盛岡市出身で伊勢ノ海部屋所属であり、年齢は34歳である。また身長186センチ、体重188キロであり、押し、左四つ、寄りを得意としている。
中学を卒業して伊勢ノ海部屋に入門し、2006年3月場所で初土俵を踏んだ。その後2012年7月場所から、それまで本名のままとなっていた四股名を「錦木」と改めた。この「錦木」というのは文化年間、つまり1804年から1818年までの間に伊勢ノ海部屋に所属していた大関力士の名前で、後の初代二所ノ関となった、錦木塚右工門にのっとった由緒ある四股名である。そして錦木塚右工門と同じ岩手県出身であった縁からもこの四股名に改名することになった。先述の二代目塚右工門を含め錦木を名乗る力士は過去6人存在するため、「7代目錦木」となる。
この後2015年5月場所で新十両となったが、「錦木」の四股名での関取は、1874年3月まで錦木繁之介を名乗った大淀谷五郎以来、141年ぶりのこととなった。また岩手県出身としては6年ぶり、盛岡市出身としては63年ぶりの関取誕生となった。そして2016年5月場所で新入幕を果たした。
続く
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