負けん気の塊! 若碇改め藤ノ川 父の大碇の甲山親方に関して 現役時代

 大碇は京都府京都市西京区出身で伊勢ノ海部屋所属だった。また身長177センチ、体重137キロであり、突き、押しを得意としていた。

 京都商業(3年次より京都学園)高校時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍した。そして大学卒業後は大学の1年先輩である土佐ノ海が所属する伊勢ノ海部屋に入門し、1995年3月場所に幕下付け出しで初土俵を踏んだ。

 小兵のため幕下上位で苦労したが、1997年5月場所に新十両への昇進を果たした。京都府出身としては13人目の関取であり、これ以前は大文字の引退以降23年10ヶ月に渡って京都府出身の関取経験者が不在となっていた。その後幕下へ陥落したこともあったが、1998年11月場所に新入幕を果たした。その場所では5勝10敗で負け越し、1場所で十両に陥落したが、2000年1月場所に再入幕を果たし、その場所で8勝7敗と幕内で初めての勝ち越しを決めた。しかし幕内での勝ち越しはこの1場所のみに終わり、幕内への定着は果たせなかった。自己最高位は東前頭11枚目であり、幕内在位は7場所だった。一方十両在位は35場所であり、十両で相撲を取っていた印象が強い。

 相撲は立ち合いでぶちかましてから一気に押す正統派の突き押し相撲でインパクトがあった。私的には大碇からぶちかましの大切さを学んだ次第である。

続く