これぞ理想の横綱! 照ノ富士 なぜ横綱に上がれたのか? 頭の良さ

 元付け人の駿馬の中板さんが語っていたが、支度部屋ではその日の対戦相手の立ち合いや動きを想定して動いて、練習相手になっていたようである。そして照ノ富士の指示通りに動き、何回かぶつかると「もう大丈夫です」と言ってぶつかりが終わる。中板さんが不安に思っても照ノ富士は土俵に上がってしっかり勝っていたようである。普通なら何回やってもしっくりこないこともあるし、しっくりきても上手くいかないこともある。しかし照ノ富士にはそれがほとんどなかった。やはり頭が良かったのだと思う。

 また同じ四つ相撲が得意の宝富士に頭を下げ、四つの組み方を教わったことがあったようである。すると瞬時に組み方を覚えたらしい。宝富士は自分が長年かけて覚えたものをあっという間に覚えたと驚いていた。やはり頭が良くなければ横綱にはなれないと思った次第である。

 あとは興味深かったのが16歳でスケート場を経営していたことである。来日前のことだが、両親が経営者というのもあり、アルバイトをするという考えは最初からなかった。そして初期費用として100万円を父から借り、友達4人と一緒にスケート場を作るなどした。そしてスケート場が完成すると地域の子供たちが遊びに来てくれるようになった。経営は順調であり、親に借りたお金は、約束通り最初の3か月くらいで完済した。その後もスケート経営は順調だったが、日本に来るにあたって、スケート場は一緒に経営していたもう一人の友達に任せることにした。ということで関わったのは2年くらいらしい。

 そして引退して親方となったが、今年7月で伊勢ヶ浜親方が停年となり、部屋を継承する可能性が高い。よってこうしたビジネスの経験は師匠になっても生きてきそうである。

続く