高安はなぜ優勝できなかったのか? その2
そして14日目。翔猿戦だったが突き押しを凌ぎ、左四つに組み止め、少しずつ有利な体勢を築いた。しかし警戒していなかったところで翔猿の捨て身と言える右蹴返しが飛んできた。バランスが崩れたところで一気に前に出たが今度は翔猿に土俵際で右に捻られると左膝から崩れ落ちた。物言いが付いたが結局軍配通りとなった。これで4敗となり、3敗を守った照ノ富士に単独先頭に立たれた。優勝の可能性は残されていたものの、この時点で優勝はほぼなくなったと言っていいと思う。千秋楽は勝てば優勝決定戦進出の可能性を残す一番だったが碧山に叩き込みで敗れ、優勝を逃すと同時に敢闘賞受賞も逃した。結局13日目からは平幕相手に3連敗し、まさかの大失速で場所を終えた。10日目までは内容のある相撲で白星を挙げていただけに、優勝という結果に結び付けられなかったのは残念でならない。
それではなぜ優勝できなかったのか?。理由は2つある。まずは相撲の取り口である。基本的には左四つを得意としているが突き押しもできる。ただ得意の左四つに組み止められたからといって必ずしも勝てるとは限らないというのが高安の相撲である。それではなぜそうなるのか?。それは相手に合わせて相撲を取るのが上手く、自分の相撲というよりも相手に力を発揮させない相撲に力点を置いているからである。今場所は右のおっつけが効いていたが、おっつけで攻め込むというよりも相手に力を出させないという意味で効果的だった。相手に合わせて相撲を取るスタイルは個人的にはあまり好きではないが否定はしない。おそらく本人が稽古する中で今の相撲が一番合っていると判断したのだと思う。
さて高安は元大関だが大関在位は15場所であり、現時点では把瑠都と並んで歴代10位タイの短命大関である。短命に終わった理由は勿論怪我もあるが、左四つの相撲を磨いてこなかったからである。一方同時期に大関を務めた豪栄道は何度もカド番を迎えながらも乗り越え、大関を33場所務めた。これは歴代10位の記録である。豪栄道には右四つという相撲の型があった。そして苦しくなるたびに原点の右四つの相撲に立ち返り、苦境を乗り越えてきた。しかし高安には苦境に立たされた時の心の拠りどころがない。左四つの相撲といっても3月場所初日の明生戦のように左四つに組み止めても結果として負けている。結局稽古場から左四つの相撲に取り組んでこなかったツケが回ってきたのだと思う。取り組んでもいないのに自信をもって相撲を取ること自体無理な話である。結局上手くいっている時はいいが、一つ歯車が狂うと修正が効かなくなる。決して精神面が弱いからという問題ではないと私は見ている。
続く
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