角界のスプリンター! 尊富士 来歴 高校時代まで

 母は陸上の短距離選手だったみたいだ。そしてその才能は尊富士の出足の速さとして遺伝している。また足首の細さは力士とは到底思えないものがある。よってスプリンターと付けさせてもらった。本来なら幕内優勝を果たした時に書きたかった。しかし右足首を痛め、5月場所と7月場所を休場したこともあり、力士としての全体像がつかめなかった。しかし全体像がようやく見えて来たのでまとめようと思った次第である。それでは尊富士を紹介したい。

 尊富士は青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身で伊勢ヶ浜部屋所属であり、年齢は25歳である。また身長184センチ、体重143キロであり、押し・右四つ・寄りを得意としている。

 祖父が草相撲の強豪だった縁で、保育園の頃から相撲を始めた。五所川原市立金木小学校時代は、わんぱく相撲全国大会では4年次に個人ベスト8と団体優勝、5年次に個人2位を経験した。小学校5年次からはつがる旭富士ジュニアクラブに通い、小学校卒業後は地元の金木中学校ではなく、地元を離れて道場へ通いやすいつがる市立木造中学校に進学した。そして中学3年次に全国都道府県中学生大会個人3位、全中個人ベスト8、白鵬杯団体優勝、個人3位の実績を残した。

 中学卒業後は鳥取城北高校に進学した。高校の同期には現幕内・狼雅がいる。1年次に金沢大会で個人8強の実績を残すが、2年次の金沢大会で左膝前十字靭帯を断裂した。3年次には全国高校総体個人3位、選抜高校相撲宇佐大会個人3位となったが、秋の国体個人準決勝で納谷幸之介(後の王鵬)に敗れた際に再び左膝を負傷し、3位決定戦は不戦敗となった。

続く