遅れて来た大物! 若元春 来歴その2

 初土俵の2011年11月場所だけは荒大波を名乗り、翌2012年1月場所には後援者の命名で「金剛力士像のように」との思いが込められた剛士に四股名を改名した。また三兄弟の中では体が一番大きく、前相撲で一番出世を果たすと2012年1月場所は序ノ口優勝を収めた。その後は所要6場所で幕下へ昇進するなど幸先の良いスタートを切った。

 2013年7月場所は幕下優勝を果たし、翌9月場所は自己最高位の東幕下7枚目に昇進した。しかし2014年からは幕下の中位から下位に推移し、2015年3月場所には三段目に陥落した。師匠が言うには「稽古しない」のも原因だったようだ。その後は2015年11月場所は全休となったが翌場所からは勝ち越しを7場所連続で決め、2017年3月場所は西幕下5枚目まで番付を上げた。しかし7番相撲で敗れて3勝4敗となり、勝ち越しとはならなかった。

 2017年5月場所より、弟の入門に合わせて四股名を「若元春」に改名。「若」は祖父の若葉山と父の若信夫から来ている。そして「元春」は三子教訓上状で知られる戦国武将・毛利元就の三人の息子たち。その中の次男の吉川元春から来ている。

 しかし改名以降も幕下上位の番付が続き、勝ち越しと負け越しが交互したのでなかなか十両には上がれないといった状況が続いた。しかし当時の兄弟子の蒼国来から「もっと自分のことを考えろ」と発破をかけられ目が覚めた。2019年1月場所では西幕下3枚目の地位で7戦全勝優勝を果たし、翌3月場所の新十両昇進を確定させた。そして場所後の番付編成会議で正式に新十両が決定した。また先に十両に上がっていた弟の若隆景と合わせて、史上20組目の兄弟関取となった。昇進に際して師匠は「3年は遅かった」と出世のもたつきを指摘した。

続く