嫌らしい相撲を取る男! 翔猿 来歴 大学時代~新十両まで

 高校時代には将来の進路として保育士を志したこともあったが、相撲の道を選んで英乃海や剣翔と同じく日本大学に入学した。そして経済学部経済学科に進むと相撲部に入った。大学の同期には大奄美がおり、一年次に出場した東日本学生相撲新人選手権大会では大奄美(本名・坂元)と決勝戦で対戦して敗れて準優勝となった。同じ年の東日本学生相撲個人体重別選手権100キロ未満級で初タイトルを獲得し、二年次には全日本相撲選手権大会で16強入りなど、実績を積み上げた。3年次では東日本学生相撲選手権で団体優勝するなど、団体戦のタイトルも獲得したが、右足首を骨折して一年間相撲が取れなくなった。その影響で四年次は満足できるような実績が残せず、大相撲入りを決意した。

 入門時は兄の英乃海は木瀬部屋に入門して十両まで上がっていたが、敢えて兄とは別の部屋を選んだ。そして大学の二年先輩の遠藤や幼なじみの剣翔が所属する追手風部屋に入門し、2015年1月場所で初土俵を踏んだ。3月場所で番付に四股名が載ると4場所連続の6勝1敗で11月場所には早くも幕下へ昇進した。幕下昇進後も番付を上げ、2016年11月場所では東幕下3枚目まで上がった。しかし2勝1敗から4連敗し、自身初の負け越しに終わった。その後は再度勝ち越しを続け、2017年5月場所は西幕下2枚目で6勝1敗の好成績を残した。そして場所後の番付編成会議で7月場所の新十両昇進が決定した。昇進に合わせて四股名を本名の岩崎から翔猿へと改名した。また兄の英乃海とともに史上18組目の兄弟関取となった。加えて別々の部屋に入門した兄弟による兄弟同時関取は、史上3組目の事例となった。

続く