元横綱・曙の死去に関して ハワイ出身力士の紹介 小錦 大関昇進後

 その後1987年5月場所後に大関昇進を果たした。外国出身力士としては史上初めての大関誕生ともなった。

 大関昇進後はなかなか優勝争いに絡めなかった。しかし1989年11月場所は最後まで優勝を争った千代の富士には13日目の直接対決で勝利した。そして千秋楽も勝ち、14勝1敗という成績でようやく悲願だった幕内初優勝を果たした。また高見山に次いで、史上二人目の外国出身力士の優勝となった。

 そして1992年3月場所は13勝2敗で3回目の幕内優勝を果たした。二場所前は13勝2敗で優勝しており、1月場所は12勝3敗ということで横綱に昇進してもおかしくない成績を挙げた。しかし相撲協会から横綱審議委員会への諮問はなく、横綱昇進は見送りとなった。これに関して当時の出羽海理事長は「真に強い横綱を誕生させるため、もう一場所見守って欲しい」と説明した。

 当時相撲を観ていた者としては見送られても仕方がないと思った。成績も14勝以上はなく、他を圧倒するほどの強さではなかった。そして曙、若・貴などの若手力士が育ってきており、もう少し様子を見たいという理事長の判断は間違っていなかったと思う。結局その後は優勝争いに加わることすらなくなった。結果的には横綱に上げなくて正解だったと言える。

続く