元関脇・寺尾の死去に関して 相撲の取り口
相撲の取り口に関しては突っ張り、押し、いなし、叩きを得意としていた。若い頃は回転の速い突っ張りといなしで勝負していた。そして晩年は突っ張りの後、父、兄が、得意としていた両差しの相撲を取るようになった。私の記憶では激しい突っ張りの一方で今の力士でいえば翔猿のように相手を見ながらかく乱するような相撲を取っていた。イメージとしては弟子の阿炎と翔猿の相撲を足して2で割ったような取り口だった。一言でいえばうるさい力士であり、対戦相手も寺尾のスピードには苦労していた。
また行司泣かせの力士であり、土俵際での引き技で行司が判断を誤り、差し違いになることがよくあった。現代の相撲はスピードが速くなり、行司が力士とともに土俵下に転落することも時に見られるが、当時はスピードで圧倒しており、速さは際立っていた。言い換えれば現代的な相撲を取っており、寺尾の相撲に関しては古臭さは感じない。結果論だが、時代を先取りするような相撲を取っていたとも言える。
一方そっぷ型、つまりやせ型の体型だったので懐に入られやすく、不利な体勢になった時は我慢せずに土俵を割っていた。粘り腰が原因で怪我をする力士も多く、粘らずに土俵を割っていたことが現役生活を長く続けられた要因の一つだと思っている。潔い負け方ができる力士でもあった。
続く
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