元関脇・寺尾の死去に関して 来歴その1

 元関脇寺尾の錣山親方が2023年12月17日にうっ血性心不全のため入院先の病院で死去した。60歳だった。元関脇鶴ヶ嶺の三男として生まれ、長男の元十両・鶴嶺山、次男の元関脇・逆鉾とともに井筒三兄弟と言われ、名を馳せた。逆鉾は2019年に、そして鶴嶺山は2020年に亡くなっており、これで井筒三兄弟全員がこの世を去ったことになる。当時は井筒三兄弟の活躍は大相撲の話題の一つとなっており、古くからの相撲ファンにとっては何とも寂しいニュースとなった。心よりご冥福をお祈りしたい。

 さて寺尾が生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が部屋を構えていた東京都墨田区だが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。現在は二世力士のほとんどが生まれ育った場所を出身地としており、時代の流れを感じる。

 墨田区内の小・中学校を卒業したが兄二人とは異なり相撲に興味がなかった。安田学園高校に入学後、上級生に誘われて相撲部に入った。その後高校在学中にがんで闘病中だった母が43歳の若さで亡くなった。そして長男の鶴嶺山に「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ?」と声を掛けられた。その後母の通夜の晩に父に入門の意思を伝え、高校を中退した。母が亡くなったことで独りぼっちとなり、その中での入門というのは自然の流れのように見えた。

 1979年7月場所に初土俵を踏み、母の旧姓である寺尾を四股名とした。そして1984年7月場所に新十両となったが幕下昇進後から三年近く経っての関取であり、少しずつ力を付けながら番付を上げていったという印象である。また新十両の時に「源氏山力三郎」と改名した。源氏山の四股名は同部屋に所属していた元横綱・西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものであり、父が息子に贈ったものである。しかしこの四股名は一場所限りで、翌場所から元の四股名に戻している。

続く