遅れて来た大物! 若元春 師匠の紹介

 そして今の荒汐親方を紹介したい。中国・内モンゴル自治区出身であり、現役時代は蒼国来の四股名で活躍した。最高位は東前頭2枚目。幕内は38場所務めた。取り口は右四つ・寄り・投げを得意としていた。立ち合いの当たりは強くなく、それが三役まで上がれなかった原因と言える。しかし勝負勘は良く、スピードは速くなかったものの、勝機と見ると素早く動くなど、強かな相撲を取っていた印象がある。また研究熱心であり、晩年は左四つやモロ差しの相撲を取っていた。個人的には土俵際でのしぶとさが記憶にある。俵に詰まっても簡単には土俵を割らない。そして残した後に形勢逆転といった相撲も度々見られた。こういった相撲は稽古熱心でないと取れない。確かに三役には上がれなかったが観ている方からすれば嫌らしい相撲を取っており、対戦相手には嫌がられたのではないだろうか。その意味では私にとっては記憶に残る力士だった。

 一方先代荒汐親方のおかみさんが言うには八百長問題で解雇された翌日にはその誠実な人柄に触れ、三つの弁護士事務所から6人の弁護団が出来上がっていたようだ。こういった人間性も土俵に復帰できた一つの要因だと思う。そして大相撲復帰後である。二年半ぶりの復帰の上に八百長問題では大量の力士が引退しているのもあり、周囲に再び溶け込むまでには1年以上かかったようである。しかし先代の師匠によると温和で優しく自己主張しない性格が他の力士との関係を修復させ、彼らとうまく付き合うことができるようにしたとのことである。

 そして二年半ぶりの幕内力士としての復帰は前例がなく、大怪我をするとはよく言われていた。しかし実際は怪我はなく、復帰後の負け越しも3場所で止まり、幕下には転落しなかった。こういったところは復帰を信じ、自ら体を動かしてトレーニングをしていた成果だと思う。その後は体重を増やし、三賞を獲得し、自己最高位で迎えた場所では日馬富士に勝って初金星を挙げた。諦めないことの大切さを身をもって教えてくれたこの経験は今後に活きてくると思うし、今後も師匠として力士の育成に期待したい。

続く