角界のおにぎり君 部屋の紹介 部屋の歴史

 常盤山部屋の前身は千賀ノ浦部屋である。1989年7月場所限りで引退して春日野部屋の部屋付き親方となっていた元関脇・舛田山の千賀ノ浦親方が、2004年9月27日に春日野部屋から分家独立して千賀ノ浦部屋を創設した。その後2010年11月場所に舛ノ山が新十両へ昇進し、部屋史上初となる関取が誕生した。

 2016年4月10日に千賀ノ浦親方が定年退職を迎えるため、同年3月中旬から部屋の後継者擁立を進めていたものの実現せず、同じ出羽一門の他の部屋との合併も条件的に折り合わなかった。そこで貴乃花部屋の部屋付き親方の元小結・隆三杉の常盤山親方に対して千賀ノ浦部屋の師匠に就任することを要請した。力士の居場所がなくなることを不憫に思った常盤山親方は5年後に名跡を元に戻すことを条件として同年4月8日付で千賀ノ浦親方と名跡を交換し、千賀ノ浦を襲名して部屋を継承した。その後新師匠になってから1年半で、17歳で幕下に上がった後長く足踏みしていた隆の勝を出稽古と猛稽古で鍛え上げ、無事関取に育て上げた。また隆の勝は自身が師匠になってから初の関取となった。

 その後2018年10月1日、部屋を閉鎖する貴乃花部屋の力士と裏方全員を受け入れた。同年11月場所で小結の貴景勝が部屋の力士として初めて幕内最高優勝を果たした。翌2019年3月場所に貴景勝の大関昇進が決定した。

 2020年11月26日、両者間の当初からの取り決めだった5年で名跡を戻すことが理事会で承認され、千賀ノ浦親方は常盤山親方に戻った。これに伴い同日付で部屋の名跡を「常盤山部屋」となった。そして名跡再交換により5年間限りと定めていた千賀ノ浦親方との関係を終了させた後、2021年2月16日に新宿舎を板橋区前野町に構えて常盤山部屋を創設した。

続く