目指せ三役! 佐田の海 父の元小結・佐田の海に関して
父の佐田の海は大阪府堺市出身で出羽海部屋所属だった。また身長182センチ、体重132キロであり、右四つ・寄りを得意としていた。
堺市立上野芝中学校卒業後に出羽海部屋に入門し、1972年3月場所で初土俵を踏んだ。そして厳しい師匠(元横綱・佐田の山)や鷲羽山、大錦などの兄弟子に鍛えられて順調に番付を上げた。1978年3月場所で新十両となり、1980年11月場所で新入幕を果たした。
新入幕の場所は11勝4敗の好成績を収め、初三賞となる敢闘賞を受賞した。その後1982年1月場所では新三役となる東小結となった。そしてこの場所は9日目に横綱・千代の富士に勝った一番が評価され、殊勲賞を受賞した。しかし翌場所は番付運に恵まれず、東小結に据え置かれた。また幕内上位や小結での勝ち越しが何度かあったものの、ついに関脇には昇進できなかった。
その後肘を故障してからは低迷し、肘の手術に踏み切ったものの回復せず、1988年7月場所中に引退を表明した。
引退後は借株で出羽海部屋の部屋付き親方として日本相撲協会に残っていたが、1999年8月に退職した。
二本差しての速攻相撲は非常に見応えがあり、個人的には強く印象に残っている力士である。体格も息子の佐田の海とほぼ同じであり、勝ち方にしても負け方にしても非常によく似ている。また父は出足を生かした速い相撲で上位力士を倒すなど華々しい活躍を見せた一方、息子は努力を積み重ね、地道に頑張っているといったイメージが強い。
続く
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