大相撲

 そして再挑戦となった2006年9月場所では9日目までの5敗を喫して9勝止まりとなり、大関復帰は果たせなかった。しかし終盤にかけて気持ちを切らさなかったことが高く評価され、大関復帰の可能性もあると北の湖理事長はコメントした。

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 翌7月場所は魁傑以来の「大関陥落後平幕まで下がった力士の大関再挑戦」の場所となった。当時の北の湖理事長は「11勝前後を挙げれば昇進の話が出る」と話した。そしてこの場所は序盤は苦戦したものの終盤は5連勝し、10勝5敗で終えた。 ...

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 平幕に番付を下げた後は平幕上位~中位の番付に留まり、三役に昇進しても負け越して即陥落するなどかつての勢いは失われていた。また右肩の怪我で大関から陥落したが怪我の回復が遅れ、かばっているうちに今度は左肩も痛めたため、突き押し相撲だけで ...

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 新大関として迎えた2000年7月場所は初日の栃東戦で右肩を痛めたことが響き、6勝9敗で負け越した。翌9月場所はいきなりのカド番となり、勝ち越してカド番は脱出したものの8勝7敗という成績に終わった。その後も負け越してはカド番脱出を繰り ...

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 それではなぜ揉めたのか?。理由は3つある。

・同部屋に上位力士が多数いたため

 大関昇進時で所属する武蔵川部屋には横綱は武蔵丸、大関は武双山と出島がいた。既に3人おり、直接対決がないにも関わらず優勝争いに全く ...

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 2000年1月場所は新小結で12勝3敗の好成績を残すと翌3月場所は関脇で11勝4敗という成績だった。この時点で5月場所の成績次第では大関昇進の基準とされる「三役で3場所33勝」の可能性が出てきた。しかし当時の境川審判部長は「星の内容 ...

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 幕下付け出しで初土俵から2場所連続で全勝優勝を果たすと同年11月場所で十両に昇進した。昇進後も勢いは止まらず、同場所で12勝3敗で3場所連続優勝を果たすと1999年1月場所は西十両筆頭で14勝1敗の好成績を残し、4場所連続優勝を果た ...

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 師匠の二子山親方は元大関・雅山である。茨城県水戸市出身で武蔵川部屋所属だった。また身長187センチ、体重188キロであり、突き、押し、右四つ、叩きを得意としていた。

 中学時代は柔道部に所属していたが、入学間もない5月に ...

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 所属する二子山部屋は藤島部屋の部屋付き親方だった元大関・雅山の二子山親方が2018年4月1日付で内弟子6人を連れて藤島部屋から分家独立し、二子山部屋を創設した。ちなみに初代若乃花が興した二子山部屋とは系統が異なる。

 部 ...

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3つ挙げられる。

・増量

 現在159キロだが、スピードのあるタイプではないのでもう少し体重を増やして重さで受け止められるようになりたい。勿論体の動きが鈍くならないことが前提だが、体重が増えれば今まで以上に取り ...