阿炎は大関に上がれるのか? 略歴 その3

 その後同年7月場所は7日目から休場。理由は怪我ではなく、「数人のお客様と会食に出た」ことを師匠が把握したため、師匠の判断で休場させたようだ。そして場所後に引退届を提出していたことが報じられるも協会は受理しない方針を発表した。結局8月6日に行われた理事会で3場所出場停止と5か月50%の減俸処分となった。なお不祥事に関しては後で改めて触れたい。

 2021年3月場所に土俵に復帰したが番付は西幕下56枚目まで下がっていた。初日に観たときはやはり長期休場明けということで体がたるんでいるように見えた。それでも幕下では力が違った。全勝優勝を果たすと翌5月場所も全勝優勝を決め、7月場所に十両に復帰した。その7月場所は8日目に魁勝に敗れ、出場停止明けの連勝が21でストップしたものの11勝を挙げた。翌9月場所は3日目までは1勝2敗の成績だったが4日目からは全て白星を並べ、13勝2敗という成績で2度目の十両優勝を果たした。

 翌11月場所は7場所ぶりに幕内に復帰したが優勝争いに絡む活躍をし、12勝を挙げ、3度目の敢闘賞を受賞した。そして2022年1月場所も先場所同様優勝争いを演じ、12勝3敗の好成績で初となる殊勲賞を受賞した。また14日目は照ノ富士に勝ち、4年ぶりとなる金星をマークした。3月場所は自己最高位を更新し、西関脇という番付となった。

終わり