負けん気の塊! 若碇改め藤ノ川 師匠の存在 現役時代
師匠の伊勢ノ海親方は元幕内・北勝鬨である。北海道帯広市出身で伊勢ノ海部屋所属だった。また身長183センチ、体重148キロであり、右四つ、寄りを得意としていた。最高位は西前頭3枚目だった。
1981年5月場所に初土俵を踏むと幕下時代から有望力士として期待された。その後1987年1月場所で新十両に昇進し、昭和40年代生まれ初の関取となった。1989年1月場所で新入幕となり、平成初の新入幕力士の一人となった。
バランスの取れた体型から将来の大器と期待されたが稽古不足もあり、幕内と十両を往復する日々が続いた。そして1991年9月場所、6度目の入幕でようやく幕内に定着した。
左上手を浅く取っての型は良かったが勝ち身が遅く、素質はあったものの三役昇進は果たせなかった。結局幕内での二桁勝利は一度もなく、三賞も受賞できずに1998年5月場所を最後に十両に陥落した。その後幕下に陥落した2000年9月場所前に現役を引退し、年寄・勝ノ浦を襲名した。また北勝鬨の引退により100年以上続いた北海道出身の関取が途絶えた。
続く
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