これぞ理想の横綱! 照ノ富士 理想の横綱像を取り戻した功績
さて長年思っていたことだが、朝青龍が横綱に上がってからは横綱は勝つことが全てというイメージになった感じがする。そして結果ばかりを追い求め、受けて立つ相撲が減った。その後不祥事で朝青龍が協会を追われ、引退に追い込まれた。そして白鵬が朝青龍の後を継ぐ形となり、優勝回数45回の大横綱として一時代を築いた。確かに優勝回数は歴代1位であり、実績は素晴らしいものがある。しかし本人が「負けることは死を意味する」と語っていたように、勝つことにこだわりを持っていたのは朝青龍と同じである。私としてはそれだけの実力があるのなら、もう少し受けて立つ相撲を取って欲しかったという考えである。確かに数字は後に残るが、数字にこだわり過ぎた印象が強い。また土俵上での振る舞いが物議を醸すこともあり、そのことが原因で大鵬、北の湖、貴乃花のように一代年寄は与えられなかった。
その他の横綱に関しても日馬富士は体が小さかったので受けて立つ相撲が取れなかった。鶴竜は横綱の地位にしがみついていた印象があり、肝心なところで立ち合いで変化したこともある。人格者ではあるのだが、横綱としてはあまり良いイメージは持っていない。稀勢の里は横綱昇進時がピークであり、横綱在位12場所と短命に終わった。
そして白鵬が引退し、バトンを受ける形で横綱に昇進した。勝ち負けにこだわる白鵬を見て思うところがあったと想像している。そして横綱昇進後は変化は一度もなく、いついかなる時でも相手を受けて立つ相撲を取っていた。痛めている両膝に加えて糖尿病も抱えており、休場が多かったのは仕方がない。横綱昇進時からある程度想像できたことである。しかしそんな状況でも参加できる限りは巡業に帯同し、横綱土俵入りを披露していた。巡業参加は義務ではあるのもも、本場所のことを考えれば巡業で休場してもおかしくないところである。しかし稽古はできなくても土俵下でトレーニングをし、若手力士にアドバイスするなど、本場所以外でも横綱としての役割を果たしてきた。協会関係者が評価しているのはまさにこういった部分である。よって世間の人が思っている以上に高く評価されているはずである。そしてそれは私も同じである。怪我と病気を抱えながらの横綱は本当に大変だったと思う。心からお疲れさまでしたと言いたい。
続く
最近のコメント