なぜ炎鵬は関取復帰できたのか? その理由 伊勢ヶ浜部屋への転籍

 2024年3月28日、宮城野部屋は同年4月以降無期限で伊勢ヶ浜一門預かりとなり、宮城野部屋に所属する全員が同じ一門の伊勢ヶ浜部屋に転籍となった。これにより炎鵬も伊勢ヶ浜部屋に移籍した。

 白鵬が師匠だった宮城野部屋は、師匠が厳しい人ではなかったので伸び伸びとした環境のように見えた。また宮城野部屋は歴史的に見ても小規模な部屋であり、伝統はあるものの厳しい部屋のようには感じなかった。

 一方移籍先の伊勢ヶ浜部屋は力士数30人の大所帯である。また関取が多数おり、幕下以下の関取予備軍も多数控えている。よって厳しい環境に放り込まれたことになる。普通に考えれば、本場所での結果以前に稽古場での稽古がサバイバルであり、同部屋のライバルに勝つ必要がある。また炎鵬は小兵力士であり、しかも首の怪我から再起するタイミングだった。客観的に見て、この部屋で復活できるのか?、正直心配になった。しかし決まった以上はその環境で頑張るしかない。

 ただ裏を返せばサバイバルに生き残れば、力士として強くなるのは確かである。元横綱照ノ富士の現伊勢ヶ浜親方も、宮城野部屋から移籍した力士に対しては「今の環境を生かすも殺すも本人次第」と語っていた。自身も当時の間垣部屋から伊勢ヶ浜部屋へ移籍しているので言葉に説得力がある。勿論師匠交代ということで転籍時や転籍後に引退した力士も複数いた。しかし炎鵬は相撲を取ることが大好きな人間である。よって引退という選択肢はなかった。そして怪我のリスクと背中合わせの中で番付を上げ、関取復帰を叶えた。

続く