大嶽部屋継承に関して 元横綱大鵬に関して 初土俵まで

 大鵬は1940年、ウクライナ人のマルキャン・ポリシコの三男として、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。母親は日本人の納谷キヨである。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命したいわゆる白系ロシア人であった。なお南樺太は日本領であったため、大鵬は外国出身横綱にならない。

 太平洋戦争末期、日本への米軍による原爆投下後、ソ連が南樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親とともに最後の引き上げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。

 最初は小樽に向かう予定だったが母親が船酔いと体調不良によって稚内で途中下船した。小笠原丸はその後留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた。

 北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓した。しかし大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻った。その後1956年9月場所で初土俵を踏んでいる。

続く